回りを見渡して、そこにいる人々は、自分の鏡である。そこが今の自分の居場所なのだ。自分のレベルなのだ。その場所が本来の自分の居場所ではないと心から思うのなら、此処とは違う何処かをめざすのなら、自分を変えるしかない。容易な事ではないけれど。(小池一夫)— 小池一夫 (@koikekazuo) 2014, 2月 11
回りを見渡して、そこにいる人々は、自分の鏡である。そこが今の自分の居場所なのだ。自分のレベルなのだ。その場所が本来の自分の居場所ではないと心から思うのなら、此処とは違う何処かをめざすのなら、自分を変えるしかない。容易な事ではないけれど。(小池一夫)
今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました。 ぼくと細野さんと茂の三人で棺を支えて。 持ち方が緩いとか甘いなとか、ニヤッとしながら叱らないでください。— 松本 隆 (@takashi_mtmt) 2014, 1月 4
今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました。 ぼくと細野さんと茂の三人で棺を支えて。 持ち方が緩いとか甘いなとか、ニヤッとしながら叱らないでください。
眠るような顔のそばに花を置きながら、 ぼくの言葉と君の旋律は、こうして毛細血管でつながってると思いました。 だから片方が肉体を失えば、残された方は心臓を素手でもぎ取られた気がします。— 松本 隆 (@takashi_mtmt) 2014, 1月 4
眠るような顔のそばに花を置きながら、 ぼくの言葉と君の旋律は、こうして毛細血管でつながってると思いました。 だから片方が肉体を失えば、残された方は心臓を素手でもぎ取られた気がします。
北へ還る十二月の旅人よ。ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だね。 なぜ謎のように「十二月」という単語が詩の中にでてくるのか、やっとわかったよ。 苦く美しい青春をありがとう。— 松本 隆 (@takashi_mtmt) 2014, 1月 4
北へ還る十二月の旅人よ。ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だね。 なぜ謎のように「十二月」という単語が詩の中にでてくるのか、やっとわかったよ。 苦く美しい青春をありがとう。
敵意に充ちた鋭い舌鋒は、鋭利な刃物と同じで、相手を深く傷つけ恨みを残す。でも、それは天に唾する行為で、いつか思わぬときに自分に返される。しかし、相手のためを思っての批判なら、言葉は刃物にならずにその心に染みる。批判のための批判は厳に謹んだほうがいい。— 志茂田景樹 (@kagekineko) 2013, 12月 18
敵意に充ちた鋭い舌鋒は、鋭利な刃物と同じで、相手を深く傷つけ恨みを残す。でも、それは天に唾する行為で、いつか思わぬときに自分に返される。しかし、相手のためを思っての批判なら、言葉は刃物にならずにその心に染みる。批判のための批判は厳に謹んだほうがいい。
知人友人に何かを頼む場合、無意識のうちに期待をふくらませる傾向がある。結果が期待ほどでないと、一瞬、それが表情に出る。頼まれた側は、ちゃんとやったのに気に入らないのかな、と嫌な思いを抱く。それが相互不信につながることがあるので、頼むときは期待値を小さくしたほうがいい。— 志茂田景樹 (@kagekineko) 2013, 11月 20
知人友人に何かを頼む場合、無意識のうちに期待をふくらませる傾向がある。結果が期待ほどでないと、一瞬、それが表情に出る。頼まれた側は、ちゃんとやったのに気に入らないのかな、と嫌な思いを抱く。それが相互不信につながることがあるので、頼むときは期待値を小さくしたほうがいい。
時々私の父が、私の息子に、急にすごいでかい声で「がんばれ!!!」と唐突に叫ぶ時、いつも涙が出そうになる。長男は、あービックリした、という顔でまたテレビをみる。長男は父の想いをテレビの画面で濁しながら素知らぬふりでいる。十秒くらいの出来事。— leona tamura (@leo_kitten) November 18, 2013
時々私の父が、私の息子に、急にすごいでかい声で「がんばれ!!!」と唐突に叫ぶ時、いつも涙が出そうになる。長男は、あービックリした、という顔でまたテレビをみる。長男は父の想いをテレビの画面で濁しながら素知らぬふりでいる。十秒くらいの出来事。
あいつは凄い、と他人に言われるようにならなきゃ、駄目だ。大抵の男は、俺はすごいんだぞと、自分で叫んでいる。そして、その九割は、屑だ。(酒場調べ)— 栗田智也 (@kurikuri77) September 6, 2013
あいつは凄い、と他人に言われるようにならなきゃ、駄目だ。大抵の男は、俺はすごいんだぞと、自分で叫んでいる。そして、その九割は、屑だ。(酒場調べ)
誰かを好きになった時に心がけたい事@他人と比べないA卑屈にならないB自分を信じるC相手を信じる Dひたむきさを忘れないE想い貫くF嘘はつかないG気持ちを押し付けないH見返りを求めないI気持ちに正直になる— できる男できる女の法則 (@dekiruotoko0107) August 2, 2013
誰かを好きになった時に心がけたい事@他人と比べないA卑屈にならないB自分を信じるC相手を信じる Dひたむきさを忘れないE想い貫くF嘘はつかないG気持ちを押し付けないH見返りを求めないI気持ちに正直になる
「孤独」と「孤立」は違う。全く違う。僕は、己の中に孤独を持て、とよく言うが、孤独は自分を育てる。孤立は、その身の内に怪物を育て、やがてその怪物のコントロールを失う。人間は、もともと孤立して生きる動物ではないのだ。人と繋がれ。そして、孤独であれ。(小池一夫)— 小池一夫 (@koikekazuo) July 24, 2013
「孤独」と「孤立」は違う。全く違う。僕は、己の中に孤独を持て、とよく言うが、孤独は自分を育てる。孤立は、その身の内に怪物を育て、やがてその怪物のコントロールを失う。人間は、もともと孤立して生きる動物ではないのだ。人と繋がれ。そして、孤独であれ。(小池一夫)
子供の頃の電話はもちろん黒電話で。客間の整理ダンスの上にあったから話す時は立って、というのに何の疑問もなかった。大学進学で上京するまではそんな感じだったし、上京後2年は女子アパートで通路に1台ピンク電話があっただけで、掛かってきた電話は誰かが出る、掛けるには10円玉、という具合。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
子供の頃の電話はもちろん黒電話で。客間の整理ダンスの上にあったから話す時は立って、というのに何の疑問もなかった。大学進学で上京するまではそんな感じだったし、上京後2年は女子アパートで通路に1台ピンク電話があっただけで、掛かってきた電話は誰かが出る、掛けるには10円玉、という具合。
ピンク電話は、色が薄ピンクの公衆電話のように使える電話です。 掛けるには10円玉か100円玉が必要で、100円をいれても、お釣りは出ませんでした。 10円分の通話が終わると、ボトンと10円玉が貯金箱に落ちる音がして、それはそれは切ない、記憶にへばりついた好き嫌い嫌い好きな音です。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
ピンク電話は、色が薄ピンクの公衆電話のように使える電話です。 掛けるには10円玉か100円玉が必要で、100円をいれても、お釣りは出ませんでした。 10円分の通話が終わると、ボトンと10円玉が貯金箱に落ちる音がして、それはそれは切ない、記憶にへばりついた好き嫌い嫌い好きな音です。
もちろん携帯電話はありませんでした。いえ、どこかにはあったのでしょう。でも、それが生活にどん変化を起こすのかなんて想像もしませんでした。今思うと、どうやってバイトを始めたり友達とドライブに行ったり、どうやって授業や遊び、バイトのスケジュールのやり繰りをしたりできていたのでしょう。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
もちろん携帯電話はありませんでした。いえ、どこかにはあったのでしょう。でも、それが生活にどん変化を起こすのかなんて想像もしませんでした。今思うと、どうやってバイトを始めたり友達とドライブに行ったり、どうやって授業や遊び、バイトのスケジュールのやり繰りをしたりできていたのでしょう。
念力が通じたのです。 その頃までは、みんなが念力を持っていて、念力を送り合い、念力を感じ合いながら暮らしていたのです。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
念力が通じたのです。 その頃までは、みんなが念力を持っていて、念力を送り合い、念力を感じ合いながら暮らしていたのです。
友達からの電話は他の人は使っていない隙間に、お風呂やトイレに入っていない間に掛かってきてくれと念じました。電話がリリと鳴った瞬間に他の誰でもなく自分が出るように相手は念じて掛けてくれていたでしょう。決めた約束は、会えた瞬間まで約束を守る、場所を間違えないと互いに強く念じ合ました。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
友達からの電話は他の人は使っていない隙間に、お風呂やトイレに入っていない間に掛かってきてくれと念じました。電話がリリと鳴った瞬間に他の誰でもなく自分が出るように相手は念じて掛けてくれていたでしょう。決めた約束は、会えた瞬間まで約束を守る、場所を間違えないと互いに強く念じ合ました。
それに加えあの頃は伝言という魔術も皆備えていましたね。それは誰かを介して要点、時には暗号がことづけられてなお、互いに思いを伝えられるという術です。伝言をお願いする人は身内ばかりでなく赤の他人という場合もあるのですが、伝言を頼まれた瞬間にその人には責任感という粉が振り掛かるのです。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
それに加えあの頃は伝言という魔術も皆備えていましたね。それは誰かを介して要点、時には暗号がことづけられてなお、互いに思いを伝えられるという術です。伝言をお願いする人は身内ばかりでなく赤の他人という場合もあるのですが、伝言を頼まれた瞬間にその人には責任感という粉が振り掛かるのです。
笑い話もたくさんうまれました。切ない出来事も。 それも共有できるのは、同世代だけですね。テクノロジーの変遷によって世代間経験談の違いが。 “@go_ueda: @s_i_g_n 待ち合わせに緊張感とドラマがある時代でした”— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
笑い話もたくさんうまれました。切ない出来事も。 それも共有できるのは、同世代だけですね。テクノロジーの変遷によって世代間経験談の違いが。 “@go_ueda: @s_i_g_n 待ち合わせに緊張感とドラマがある時代でした”
上京3年目を迎える頃、家賃21000円の女子アパートを出て17平米の部屋を借りた。お風呂があったしガスも通ってたし電話を引くためのジャックが部屋の中にあった。これで銭湯に通わなくても良くなったし調理用のカセットコンロはお払い箱、そして自分専用に電話を引くことができるようになった。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
上京3年目を迎える頃、家賃21000円の女子アパートを出て17平米の部屋を借りた。お風呂があったしガスも通ってたし電話を引くためのジャックが部屋の中にあった。これで銭湯に通わなくても良くなったし調理用のカセットコンロはお払い箱、そして自分専用に電話を引くことができるようになった。
当時電話回線を持つというのが一人暮らしの儀式であり大人の洗礼のようなものであった。そう、電話回線は部屋に引かれているものではなく個人で持つものだったのだ。7万円。7万円を払うと自分の回線が持てる=世帯を持つ、そんな自覚が芽生えるのがその儀式であり7万円払って得る洗礼だったのです。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
当時電話回線を持つというのが一人暮らしの儀式であり大人の洗礼のようなものであった。そう、電話回線は部屋に引かれているものではなく個人で持つものだったのだ。7万円。7万円を払うと自分の回線が持てる=世帯を持つ、そんな自覚が芽生えるのがその儀式であり7万円払って得る洗礼だったのです。
大学生が初めて組むローンが電話回線のため、というケースは少なくなかった。そしてそれで赤いカードを持たされることになるのだ。 丸井のカード。 親や友達に頭を下げてお金を借りるのに代わりカウンターのお姉さんの笑顔を見ながらのキャッシングになり、月賦がリボ払いという軽い言葉になった。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
大学生が初めて組むローンが電話回線のため、というケースは少なくなかった。そしてそれで赤いカードを持たされることになるのだ。 丸井のカード。 親や友達に頭を下げてお金を借りるのに代わりカウンターのお姉さんの笑顔を見ながらのキャッシングになり、月賦がリボ払いという軽い言葉になった。
上京して長く池袋ターミナルの沿線に住んでいて、買い物やコンパなどはたいてい池袋で、という具合でもちろん近くに行くことはあっても、丸井は入ってはならぬ場所という意識が続いた。それは受験のため初めて一人で上京しホテルでの荷ほどきもせず真っ先に向かった丸井新宿店の記憶が鮮明だったから。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
上京して長く池袋ターミナルの沿線に住んでいて、買い物やコンパなどはたいてい池袋で、という具合でもちろん近くに行くことはあっても、丸井は入ってはならぬ場所という意識が続いた。それは受験のため初めて一人で上京しホテルでの荷ほどきもせず真っ先に向かった丸井新宿店の記憶が鮮明だったから。
7階、8階建てという高い建物なのに、その全フロアがお洋服屋さん、しかもほとんどが私のような世代の女性用というのは‼ それまで買い物といったら、洋品店レベルのチェーン店か名駅地下街、またはデパート。それは食品、インテリア、雑貨、大人向け、子供向け全部揃っていての場所、百貨店だった。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
7階、8階建てという高い建物なのに、その全フロアがお洋服屋さん、しかもほとんどが私のような世代の女性用というのは‼ それまで買い物といったら、洋品店レベルのチェーン店か名駅地下街、またはデパート。それは食品、インテリア、雑貨、大人向け、子供向け全部揃っていての場所、百貨店だった。
受験のための上京用に貯めたこずかいと、ばあちゃんにもらった餞別はその魅惑に満ちたファッションビルに飲み込まれて行った。母の反対を押し切り受験先はすべて東京の大学に決めていた。宿泊先も段取りも全部一人で決めた。誰にも頼れなかった。でも東京を一人で歩いているる。もう戻れないと悟った。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
受験のための上京用に貯めたこずかいと、ばあちゃんにもらった餞別はその魅惑に満ちたファッションビルに飲み込まれて行った。母の反対を押し切り受験先はすべて東京の大学に決めていた。宿泊先も段取りも全部一人で決めた。誰にも頼れなかった。でも東京を一人で歩いているる。もう戻れないと悟った。
よりによって本命大学に落っこちたという合格発表を見に行った後、泊まっていたホテルのある新宿に戻って公衆電話から家に電話した。母は早く帰っておいでと言ったんだ。そう、あれは新宿西口だったんだ。その時は右も左も西も東もわからないし、どうやったらホテルにたどり着けるかもわからなかった。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
よりによって本命大学に落っこちたという合格発表を見に行った後、泊まっていたホテルのある新宿に戻って公衆電話から家に電話した。母は早く帰っておいでと言ったんだ。そう、あれは新宿西口だったんだ。その時は右も左も西も東もわからないし、どうやったらホテルにたどり着けるかもわからなかった。
そういえば受験で東京には5泊くらい滞在してたけど、母に電話したのはその1回だけだったんだ。携帯電話はなくホテルは2箇所を移動していたし受験の予定もろくに伝えてなかったので母からホテルに電話を入れられるわけはない、私からかける以外にない。あの時母は私からの連絡を待っていただろうか。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
そういえば受験で東京には5泊くらい滞在してたけど、母に電話したのはその1回だけだったんだ。携帯電話はなくホテルは2箇所を移動していたし受験の予定もろくに伝えてなかったので母からホテルに電話を入れられるわけはない、私からかける以外にない。あの時母は私からの連絡を待っていただろうか。
大学入学のために上京した時、母と二人で新幹線に乗った。私が住むことになっていた女子アパートの大家に二人で挨拶することになって大家さんの家に上がった時母は正座し頭を下げた。私が知らないうちに手土産も用意していた。そして2年分の家賃をその場で差し出しよろしくお願いしますと言ったんだ。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
大学入学のために上京した時、母と二人で新幹線に乗った。私が住むことになっていた女子アパートの大家に二人で挨拶することになって大家さんの家に上がった時母は正座し頭を下げた。私が知らないうちに手土産も用意していた。そして2年分の家賃をその場で差し出しよろしくお願いしますと言ったんだ。
そのあと東京駅まで母を送り、駅で母と別れた。日帰り旅行だったが母は一人で帰ることになった。私は東京駅から借りたばかりのアパートに行ったわけだが乗る電車を間違えて途中下車した知らない駅の暗闇の中で一人で泣いた。同じ時母は新幹線の中で一人何を思っていただろう。今でも聞いたことがない。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
そのあと東京駅まで母を送り、駅で母と別れた。日帰り旅行だったが母は一人で帰ることになった。私は東京駅から借りたばかりのアパートに行ったわけだが乗る電車を間違えて途中下車した知らない駅の暗闇の中で一人で泣いた。同じ時母は新幹線の中で一人何を思っていただろう。今でも聞いたことがない。
そうして一人暮らしをスタートさせたわけだが、住んだのは2階建て外階段のアパートでそれぞれの部屋で16人、全員が同じ大学の女子学生、風呂は銭湯、洗濯機は共同で1つ、電話は雨ざらしの通路にピンク電話が1台という環境で、ほぼ女子寮と言っていい状況だった。私は2階にある13号室だった。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
そうして一人暮らしをスタートさせたわけだが、住んだのは2階建て外階段のアパートでそれぞれの部屋で16人、全員が同じ大学の女子学生、風呂は銭湯、洗濯機は共同で1つ、電話は雨ざらしの通路にピンク電話が1台という環境で、ほぼ女子寮と言っていい状況だった。私は2階にある13号室だった。
アパートにはガスがひかれてなかった。調理は電気コンロを使ってる人もいたが私はカセットコンロを使った。スパゲッティを茹でてる途中でガス欠に、なんてこともあったけど一口のコンロ一つの鍋で何でも作った。電気はひかれていたが、誰かが電子レンジを持ち込んでいたせいでよくブレーカーが落ちた。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
アパートにはガスがひかれてなかった。調理は電気コンロを使ってる人もいたが私はカセットコンロを使った。スパゲッティを茹でてる途中でガス欠に、なんてこともあったけど一口のコンロ一つの鍋で何でも作った。電気はひかれていたが、誰かが電子レンジを持ち込んでいたせいでよくブレーカーが落ちた。
一人暮らしを4月に始めて冷蔵庫を買ったのは6月頃で、さすがに牛乳は常温ではまずいと感じたから。TVを買ったのは7月頃で、その年はオリンピックの年だった。あとは電気スタンドと炊飯器、トースター。電気製品はそれくらいだった。誰かのせいでブレーカーが落ちても外明かりで部屋は明るかった。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
一人暮らしを4月に始めて冷蔵庫を買ったのは6月頃で、さすがに牛乳は常温ではまずいと感じたから。TVを買ったのは7月頃で、その年はオリンピックの年だった。あとは電気スタンドと炊飯器、トースター。電気製品はそれくらいだった。誰かのせいでブレーカーが落ちても外明かりで部屋は明るかった。
夏場は扇風機ももちろんエアコンもなかったが、夜はファミレスのバイトだったしその前の夕方に学校終わりでそのまま銭湯へ行くのがルーティンだったし大学の体育館のシャワーを使うこともあった。冬場はどうしていただろう。何にもない部屋で実家から持ってきた布団にただただくるまっていたのだろう。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
夏場は扇風機ももちろんエアコンもなかったが、夜はファミレスのバイトだったしその前の夕方に学校終わりでそのまま銭湯へ行くのがルーティンだったし大学の体育館のシャワーを使うこともあった。冬場はどうしていただろう。何にもない部屋で実家から持ってきた布団にただただくるまっていたのだろう。
電話は。電話は外廊下の雨ざらし通路のピンク電話1台をみんなで共有していた。女子大学生ばかり16人で1台だったわけで、それをどうやって使っていたか不思議だ。確か、誰かが出てくれてノックで自分宛だと知らされると一旦出はするがすぐに近くの公園にあった電話ボックスに行って掛け直したんだ。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
電話は。電話は外廊下の雨ざらし通路のピンク電話1台をみんなで共有していた。女子大学生ばかり16人で1台だったわけで、それをどうやって使っていたか不思議だ。確か、誰かが出てくれてノックで自分宛だと知らされると一旦出はするがすぐに近くの公園にあった電話ボックスに行って掛け直したんだ。
みんな部屋着やそれこそパジャマのような格好で、リリっと共用電話が鳴ると部屋をとびだしたし、そのまま公園の電話ボックスに小銭だけ持って走って行けた。バイト帰りの子が店から持ち帰りー売れ残りの唐揚げやドーナツを持って通りがかるのを見つけると、みんなに声をかけてその子の部屋に集まった。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
みんな部屋着やそれこそパジャマのような格好で、リリっと共用電話が鳴ると部屋をとびだしたし、そのまま公園の電話ボックスに小銭だけ持って走って行けた。バイト帰りの子が店から持ち帰りー売れ残りの唐揚げやドーナツを持って通りがかるのを見つけると、みんなに声をかけてその子の部屋に集まった。
バイトは、アパートの住人間で、誰かが先輩から引き継いだのをまた引き継ぐとか、貼り紙で見つけてきたものをシフト分担するとかしあった。ネットも携帯電話もなかったけど、銭湯や夜食会で情報交換した。共有したのは雨ざらしの通路にあった電話と洗濯機、銭湯と公衆電話ボックスとバイトだった。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
バイトは、アパートの住人間で、誰かが先輩から引き継いだのをまた引き継ぐとか、貼り紙で見つけてきたものをシフト分担するとかしあった。ネットも携帯電話もなかったけど、銭湯や夜食会で情報交換した。共有したのは雨ざらしの通路にあった電話と洗濯機、銭湯と公衆電話ボックスとバイトだった。
そんな生活をしていたし電話は共用だったしで、私から母に電話をかけることはなかったし母からの電話もなかった。あったかもしれなかったがすれ違っていたのだろう。母は私を東京に残し帰ってから、姑と二人暮らしになっていた。折り合いが悪かった姑と二人だ。私はその時このことに思い至らなかった。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
そんな生活をしていたし電話は共用だったしで、私から母に電話をかけることはなかったし母からの電話もなかった。あったかもしれなかったがすれ違っていたのだろう。母は私を東京に残し帰ってから、姑と二人暮らしになっていた。折り合いが悪かった姑と二人だ。私はその時このことに思い至らなかった。
ほとんど母に電話をすることもなく過ぎて夏休み、一応お盆の期間に実家に帰った。授業のない間もっと長く実家にいられたはずなのに1週間程だった。親戚に言い訳するように母は、東京が良くて東京に行ったのだから、あっちがいいらしいのよ、と言って回っていた。そこでもすれ違ってしまっていた。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
ほとんど母に電話をすることもなく過ぎて夏休み、一応お盆の期間に実家に帰った。授業のない間もっと長く実家にいられたはずなのに1週間程だった。親戚に言い訳するように母は、東京が良くて東京に行ったのだから、あっちがいいらしいのよ、と言って回っていた。そこでもすれ違ってしまっていた。
実家に帰ると母は犬を飼い始めていた。私が子供の頃飼いたがった時ですら母から犬が好きなんてことは聞いたことがなかった。母がシーズー犬に名付けていたのは、「ぐり」という名だった。なぜそう名付けたかと聞くと「ぐりとぐら」ってあったでしょという。私が好きだった絵本とのことだ。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
実家に帰ると母は犬を飼い始めていた。私が子供の頃飼いたがった時ですら母から犬が好きなんてことは聞いたことがなかった。母がシーズー犬に名付けていたのは、「ぐり」という名だった。なぜそう名付けたかと聞くと「ぐりとぐら」ってあったでしょという。私が好きだった絵本とのことだ。
「ぐり」と名付けられた犬は、さほど犬好きでもない母に飼われたおかげで家でも紐につながれていたし夏になると毛を丸ごと刈られていた。サロンで毛を刈られて帰ってくるとね、しばらくソファの影に隠れて過ごしているんだよ、おもしろいよね。母は私に話す。でも黙って話を聞いてくれるんだよ、とも。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
「ぐり」と名付けられた犬は、さほど犬好きでもない母に飼われたおかげで家でも紐につながれていたし夏になると毛を丸ごと刈られていた。サロンで毛を刈られて帰ってくるとね、しばらくソファの影に隠れて過ごしているんだよ、おもしろいよね。母は私に話す。でも黙って話を聞いてくれるんだよ、とも。
時々母から荷物が届いた。大半は缶詰や乾麺、小分けのお米などだった。閉口したのは「唐揚げ粉」と「みかん」だった。唐揚げ粉は高校時代毎朝お弁当を作ってた私がよく唐揚げを揚げていたので、好きでしょう?ということらしいのだがカセットコンロで揚げ物はできなかった。みかんはつぶれて届いた。— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
時々母から荷物が届いた。大半は缶詰や乾麺、小分けのお米などだった。閉口したのは「唐揚げ粉」と「みかん」だった。唐揚げ粉は高校時代毎朝お弁当を作ってた私がよく唐揚げを揚げていたので、好きでしょう?ということらしいのだがカセットコンロで揚げ物はできなかった。みかんはつぶれて届いた。
@sakuramiharu 読んでいただいて、ありがとうございます。 他愛もなく、まさにつぶやきました。備忘録のようなものですね。 でも、みんな同じような経験、感傷をお持ちなのではないでしょうか? うちは母娘関係激しくこじらせてますが。 今後ともよろしくお願いします(^-^)/— s_i_g_n (@s_i_g_n) July 18, 2013
@sakuramiharu 読んでいただいて、ありがとうございます。 他愛もなく、まさにつぶやきました。備忘録のようなものですね。 でも、みんな同じような経験、感傷をお持ちなのではないでしょうか? うちは母娘関係激しくこじらせてますが。 今後ともよろしくお願いします(^-^)/
どうでもいいことは流行に従う。大事なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。(小津安二郎)— 栗田智也 (@kurikuri77) July 18, 2013
どうでもいいことは流行に従う。大事なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。(小津安二郎)
今はどんなにつらくても、 時間がたてば 「あんなこともあったね」って 笑える日が来るから、 その日のために今を生ていこう。— 名言・格言・恋言 (@MeikakuGen) July 12, 2013
今はどんなにつらくても、 時間がたてば 「あんなこともあったね」って 笑える日が来るから、 その日のために今を生ていこう。
夜は僕の道を隠すけど、 その代わりに星の存在を 教えてくれる。 なら、辛い時にこそ 見えるものがあるんじゃない?— 名言・格言・恋言 (@MeikakuGen) July 2, 2013
夜は僕の道を隠すけど、 その代わりに星の存在を 教えてくれる。 なら、辛い時にこそ 見えるものがあるんじゃない?
『敵と戦う時間は短い。自分との戦いこそが明暗を分ける』 王貞治— プロ野球名言・迷言bot (@baseball_Wittic) June 23, 2013
『敵と戦う時間は短い。自分との戦いこそが明暗を分ける』 王貞治
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。(西郷隆盛)— 日本史bot(近現代史篇) (@nihonrekishibot) June 17, 2013
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。(西郷隆盛)
自分と正反対の意見の人に会った時、僕は相手にこう告げます。「その手があったかぁ!」…相手をリスペクトすると、自然と議論は収束へ向かいます。要は光の当て方が違うだけ。ゴールは同じなんだから。— 指南役 (@cynanyc) June 18, 2013
自分と正反対の意見の人に会った時、僕は相手にこう告げます。「その手があったかぁ!」…相手をリスペクトすると、自然と議論は収束へ向かいます。要は光の当て方が違うだけ。ゴールは同じなんだから。
「その手があったかぁ!」は会議でも使えます。ポイントはややのけ反りながら、心底悔しそうな顔をすること。すると…あら不思議。それまで敵対していた相手が柔和な顔になり、こちらの意見に耳を傾け始めます。もう大丈夫。— 指南役 (@cynanyc) June 18, 2013
「その手があったかぁ!」は会議でも使えます。ポイントはややのけ反りながら、心底悔しそうな顔をすること。すると…あら不思議。それまで敵対していた相手が柔和な顔になり、こちらの意見に耳を傾け始めます。もう大丈夫。
あ〜、なんだかどんどん時間が過ぎて行くな〜。サクッと覚えてサクッと弾けりゃあいいんだろうけど。でもまぁ時間をかけて血や肉、栄養の如く、自分の身体にその音楽、楽曲、段取りを入れ込んでこそのステージなんだろうな。格。— 渡辺格・菅井えり (@Erital) June 18, 2013
あ〜、なんだかどんどん時間が過ぎて行くな〜。サクッと覚えてサクッと弾けりゃあいいんだろうけど。でもまぁ時間をかけて血や肉、栄養の如く、自分の身体にその音楽、楽曲、段取りを入れ込んでこそのステージなんだろうな。格。
君はあの、朝の日差しの気持ちよさを知っているか。まさに「午前中に...」。大事な事は午前中に済ます!— 萩 一訓さん (@ikkunhagi) 2013年6月3日
君はあの、朝の日差しの気持ちよさを知っているか。まさに「午前中に...」。大事な事は午前中に済ます!
広告代理店の媒体担当者が、テレビ局の人間と電話していて、スケジュールを聞かれた時の答えが好き。「来週の水曜? ガラ空き。悪いけどガラ空き」…ホントはギッシリ詰まってるんだけどね。良くも悪くもこれが広告マンの性。気遣いの鬼。— 指南役さん (@cynanyc) 2013年5月28日
広告代理店の媒体担当者が、テレビ局の人間と電話していて、スケジュールを聞かれた時の答えが好き。「来週の水曜? ガラ空き。悪いけどガラ空き」…ホントはギッシリ詰まってるんだけどね。良くも悪くもこれが広告マンの性。気遣いの鬼。
君のような秀才にはわかるまいが、「自分の生きていることが、人に迷惑をかける。僕は余計者だ」という意識ほどつらい思いは世の中に無い。【パンドラの匣】amzn.to/LIQj3Q— 太宰治botさん (@osamu_dazai) 2013年5月27日
君のような秀才にはわかるまいが、「自分の生きていることが、人に迷惑をかける。僕は余計者だ」という意識ほどつらい思いは世の中に無い。【パンドラの匣】amzn.to/LIQj3Q